焼き鳥・鶏料理・鰻(うなぎ)|株式会社鮒忠

焼き鳥の日

戦後の浅草で生まれた一串の焼き鳥が私たちの出発点となりました

昭和21年(1946年)、浅草千束の地に川魚料理屋として開業。
始めは鮒やどじょう、うなぎの串焼きが商いの中心でした。
川魚が獲れない冬場をしのぐために・・・と「鶏」を串に刺して売り始めたところ、この「焼き鳥」が評判となり、大ヒット!!
・・・その後は「食用鶏」の生産・卸販売、日本初のFC展開・・・へと繋がり、のちに創業者・根本忠雄は「焼き鳥の父」と呼ばれるようになりました。
その「焼き鳥魂」を大切に、100年企業を目指しています。

創業者・根本忠雄が「焼き鳥の父」と呼ばれるように

昭和16年、創業者 根本忠雄は、どじょうやうなぎを中心に扱う川魚屋として商売を始めました。戦争を経て、浅草・千束の地に「鮒忠」の看板を掲げたのが、昭和21年9月15日。店以外にも、自転車にどじょうを乗せて稲荷町や下谷、うなぎの串焼きを持って吉原へ売り歩いたと言います。
商売は順調でしたが、冬場になると川魚がほとんど捕れません。冬場をしのぐ商売として悩んだ末に、当時はまだ高級だった鶏肉を串に刺して焼いてみました。この「焼き鳥」が大変好評で、戦後の復興とともに庶民の味として大衆に広まっていき、根本忠雄は「焼き鳥の父※」と呼ばれるようになりました。
※ ウィキペディア参照 https://ja.wikipedia.org/wiki/根本忠雄

根本忠雄「焼き鳥商法」はこちら