年表
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1913年
0歳~
東京
深川猿江町 -
大正2年3月
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1925年
11歳~ -
大正14年3月
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1927年
13歳 -
昭和2年初め
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1931年
17歳
東京
向島寺町 -
昭和6年9月
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1934年
20歳
満州へ
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昭和9年12月
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1936年
23歳 -
昭和11年11月
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1937年
24歳
甲府から
北支へ -
昭和12年9月
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1938年
25歳
北支から
満州へ - 昭和13年6月
北支最前線から満州に移動、除隊となり無事に帰国を果たす
母と妻ていが店を守ってくれていた。帰国し店は裏通りから表通りに進出し、店員も15人ほどになる。
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1939年
26歳 - 昭和14年4月
3度目の徴兵
麻布三隊に内地勤務【1年9か月】日曜のたびに家に帰り店の帳簿や仕入れを指示した
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1940年
27歳 -
昭和15年12月
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1941年
28歳 - 昭和16年5月
太平洋戦争が始まり、戦時統制により米が配給制となり廃業を決意
【私は根っからの商人だ】配給所の月給とりになるつもりはなく、他の商売をするため廃業する
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昭和16年6月
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1943年
30歳
上海、南京
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昭和18年10月
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1945年
32歳
雷州半島
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昭和20年8月
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1946年
33歳
小松川
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昭和21年3月
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北千住
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昭和21年5月
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浅草・千束
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昭和21年9月
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昭和21年11月
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1950年
37歳 -
昭和25年3月
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1951年
38歳 -
昭和26年
- 昭和30年
支店15店、12月板橋区戸田橋に、第2仕入部を設ける。
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1957年
44歳 - 昭和32年
支店25店(うち8店舗がのれん分けシステムで独立店となる)
第一仕入部(保木間)を足立工場とし、加工製造部門を強化する。
- 昭和33年
支店30店(従業員数370人)
- 昭和35年
支店35店
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1961年
48歳 - 昭和36年
パーティ部門を設立
- 昭和37年
支店40店
- 昭和39年
支店48店(従業員数600人)
- 昭和43年1月
日本初(食鳥新聞調べ)のフランチャイズチェーン計画発表
- 昭和46年
フランチャイズシステム本格導入
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昭和47年4月
山形県上山市に、山形工場開設
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1975年
62歳 -
昭和50年
直営30店、FC60店。
生産工場4か所、営業所10拠点、セントラルキッチン。
日本全国の鶏肉市場における鮒忠シェアが10%になる。
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1978年
65歳 -
昭和53年9月
フランチャイズ100店
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1980年
67歳 -
昭和55年4月
代表取締役会長に就任
根本修司取締役が代表取締役社長に就任
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1987年
74歳 - 昭和62年6月
根本忠雄代表取締役会長が、名誉会長に就任
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1988年
75歳 -
昭和63年
根本忠雄名誉会長、永眠
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2004年
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平成16年4月
根本修司代表取締役社長、黄綬褒章受章
根本忠雄 著書のご紹介
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やきとり商法
(平成26年3月再販) -
魂はいつも商人
(平成26年11月発行) -
鮒忠の江戸ッ子商法
(昭和47年刊行) -
年商十五億のやきとり商法
(昭和40年刊行)