焼き鳥・鶏料理・鰻(うなぎ)|株式会社鮒忠

創業者ストーリー

裸一貫からのブレない生き方、稼ぎ方

根本忠雄焼き鳥商法

年表

  • 1931年


    17歳

    東京
    向島寺町

  • 1936年


    23歳
  • 1937年


    24歳

    甲府から
    北支へ

  • 1940年


    27歳
  • 1943年


    30歳

    上海、南京

  • 1945年


    32歳

    雷州半島

  • 1946年


    33歳

    小松川

  • 北千住

  • 浅草・千束

  • 昭和24年 浅草本店 惣菜店の頃

本店で焼き鳥を焼く、根本忠雄

現在の浅草花川戸店
  • 昭和30年

    支店15店、12月板橋区戸田橋に、第2仕入部を設ける。

  • 1957年


    44歳
  • 昭和32年

    支店25店(うち8店舗がのれん分けシステムで独立店となる)
    第一仕入部(保木間)を足立工場とし、加工製造部門を強化する。

  • 昭和33年

    支店30店(従業員数370人)

  • 昭和35年

    支店35店

  • 1961年


    48歳
  • 昭和36年

    パーティ部門を設立

  • 昭和37年

    支店40店

  • 昭和39年

    支店48店(従業員数600人)

  • 昭和43年1月

    日本初(食鳥新聞調べ)のフランチャイズチェーン計画発表

  • 昭和47年4月

    山形県上山市に、山形工場開設

  • 1975年


    62歳
  • 昭和50年

    直営30店、FC60店。
    生産工場4か所、営業所10拠点、セントラルキッチン。
    日本全国の鶏肉市場における鮒忠シェアが10%になる。