焼き鳥・鶏料理・鰻(うなぎ)|株式会社鮒忠焼き鳥・鶏料理・鰻(うなぎ)|株式会社鮒忠

焼き鳥の父物語 OUR STORY

裸一貫からのブレない生き方、稼ぎ方

根本忠雄焼き鳥商法

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年表

  • 1931年


    17歳

    東京
    向島寺町

  • 昭和6年9月
  • 1936年


    23歳
  • 昭和11年11月
  • 1937年


    24歳

    甲府から
    北支へ

  • 昭和12年9月
  • 1940年


    27歳
  • 昭和15年12月
  • 1943年


    30歳

    上海、南京

  • 昭和18年10月
  • 1945年


    32歳

    雷州半島

  • 昭和20年8月
  • 1946年


    33歳

    小松川

  • 昭和21年3月
  • 鮒忠創業当時の荒廃した浅草

    鮒忠創業当時の
    荒廃した浅草

  • 北千住

  • 昭和21年5月
  • 浅草・千束

  • 昭和21年9月
  • 昭和24年 浅草本店 惣菜店の頃

    昭和24年 浅草本店
    惣菜店の頃

本店で焼き鳥を焼く、根本忠雄

本店で焼き鳥を焼く、根本忠雄

現在の浅草花川戸店
  • 昭和30年

    支店15店、12月板橋区戸田橋に、第2仕入部を設ける。

  • 1957年


    44歳
  • 昭和32年

    支店25店(うち8店舗がのれん分けシステムで独立店となる)
    第一仕入部(保木間)を足立工場とし、加工製造部門を強化する。

  • 昭和33年

    支店30店(従業員数370人)

  • 昭和35年

    支店35店

  • 1961年


    48歳
  • 昭和36年

    パーティ部門を設立

  • 昭和38年頃お客様に配布していたマッチ(寒川文書館所蔵 三枝惣治氏マッチラベルコレクション)

    昭和38年頃お客様に配布していたマッチ
    (寒川文書館所蔵 三枝惣治氏マッチラベルコレクション)

  • 昭和37年

    支店40店

  • 昭和39年

    支店48店(従業員数600人)

  • 昭和43年1月

    日本初(食鳥新聞調べ)のフランチャイズチェーン計画発表

  • 昭和47年4月

    山形県上山市に、山形工場開設

  • 昭和49年 日経流通新聞「第1回日本の飲食業調査ランキング」

    昭和49年 日経流通新聞「第1回日本の飲食業調査ランキング」

  • 1975年


    62歳
  • 昭和50年

    直営30店、FC60店。
    生産工場4か所、営業所10拠点、セントラルキッチン。
    日本全国の鶏肉市場における鮒忠シェアが10%になる。

根本忠雄 著書のご紹介

  • やきとり商法 根本忠雄著やきとり商法
    (平成26年3月再販)
  • 魂(こころ)はいつも商人 根本忠雄31の金言(平成26年11月発行)魂はいつも商人
    (平成26年11月発行)
  • 鮒忠の江戸ッ子商法 怒るな、威張るな、欲張るな 根本忠雄著(昭和46年発行) 鮒忠の江戸ッ子商法
    (昭和47年刊行)
  • 年商十五億のやきとり商法 鮒忠立志伝 根本忠雄著(昭和40年発行)年商十五億のやきとり商法
    (昭和40年刊行)