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第四章 「右肩が上っている」

二度目の赤紙 ~24歳

二度目の赤紙 ~24歳
昭和12年2月に、親戚の口利きで私は見合い結婚した。米屋の女房だから、文字通り糟糠の妻で良く働き、良く家庭を守ってくれた。やっと落ち着いたと思ったところ、この年の7月7日に支那事変が始まり、9月14日に赤紙が届き、私は再び軍隊に駆り出されることになる。店は女房と母と店員に頼み、甲府49連隊に入隊した。私が入った部隊は、酒井兵団という満洲の特別混成旅団で、北支戦線に派遣されるとただちに最前線に連れて行かれ、生きるか死ぬか分からない戦闘に参加した。
チャハル作戦と呼ばれる作戦が一段落して満洲へ行き、そこで次の補充兵が派遣されて私は除隊になった。召集の翌年、昭和13年6月、負傷することなく無事帰国。戦死するかもしれないと観念していた母や女房は涙を流して喜び、親戚一同集まって、無事の帰国を盛大に祝ってくれた。
帰国した翌年の昭和14年1月、裏通りにあった店を引き払って、敷金400円、家賃25円と高かったが、目抜き通りに進出した。店員を15人ほどに増やし、電話も引いた。当時はまだ電話の加入権が高く、1台引くのに1,000円以上した。金庫も据え、銀行と当座も組んだ。商売を始めた頃の夢は、全部実現し、押しも押されもしない堂々たる米屋になった。