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第四章 「右肩が上っている」

2年の兵役を終えて、再び米屋に ~23歳

2年の兵役を終えて、再び米屋に ~23歳
昭和11年11月、除隊になり、12月に上京した。母は、前の店からさほど遠くない寺島6丁目の借家に住み、元気な顔で迎えてくれた。残していった1,800円にほとんど手をつけずに慎ましく暮らして、私の帰りを待っていたのである。
資金はあるから、すぐにでも米屋を再開しようとした。ところが、兵隊に行っている間に、米屋の組合「米商連合会」ができていて、米屋同士の競争を制限するために、周囲100メートル以内には新しい米屋の開店を認めない規約があるというのだ。法律ではないが、規約を破ったものは組合から除名される。除名された者は、小売屋も問屋でも米を売ってはいけないという仕組みだ。組合の規約を無視して米屋を始めても、米の仕入れができないから営業できないのである。
私は、組合長に掛け合いに行った。
「悪いことをして刑務所に行ったわけじゃない。お国のために兵隊に行くので廃業したのに、帰って来てみたら米屋が再開できないなんて、こんなばかな話はない。何とか認めてくれませんか」
「100メートル以外のところなら開店したって構わないですよ」
「冗談じゃない。この東京で商売できる場所が残っていますか」
「お気の毒ですが、組合の規約を破るわけにはいきません」
私はすっかり腹を立てて、
「そんならこっちは、問屋なんか相手にしないで田舎から米を仕入れてやる」
と、啖呵を切った。
私は単独で米屋を再開した。
「兵隊に行って来たやつが、元の商売を再開できないなんて無法なことはねえ」と、知り合いの問屋が内緒で米を運んでくれたのである。
米俵をいっぱい積んだ馬車が私の店の前に着くと、組合の人間が目を光らせて、
「どこから運んで来たんだ」
と馬車屋をつかまえて開くが、馬車屋も心得たもので、
「どこから来たか知らねえよ。馬にでも聞いてくれ」
と、とぼけてみせる。
兵隊に行く前に、帰って来られないかもしれないと、問屋の払いを踏み倒していたら、同情してくれる者は、現われなかっただろう。義理は果しておくものだ。

一匹狼であばれる

組合では、米の協定価格を作っていた。協定価格を破ると除名だが、こっちは組合員ではないから、1斗2円50銭の協定価格を無視して2円30銭くらいで売り、薄利多売主義でお得意を開拓した。
組合の方から人が来て、
「協定価格を破ってもらっては困る」
「組合員でないのに、協定値段を守る必要があるもんか」
相手は、ぐうの音もでない。
軍隊に入る前、私の店には150軒のお得意があった。商売を再開してから、以前のお得意を取り戻そうと歩き回ったが、わずか1軒しか戻らなかった。
「お国のために頑張ってくださいね。帰って来たら、またあなたのところから買いますよ」
と言っていた人たちが、見向きもしない。
私の店を買った金子屋は、10軒の支店をチェーンストアシステムで展開している。米は産地から直接仕入れ、値段は安いし、徹底した貸し売りで支払い条件がお客に有利だったから、私の運転資金では太刀打ちできない。小さい店のお得意を取ってしまうしかないと、私は考えた。狙われた店はいい迷惑だが、こっちも必死だったから仕方がない。
組合に入っていない強みで、協定価格を無視して安く売る。チンドンヤを使ったり、チラシをまいて、「兵隊帰りの米屋、命がけの安値段」などと宣伝し、徐々にお得意を増やしていった。しまいには組合から頭を下げて、「どうか組合に入ってくれ」と言ってくる始末だった。