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第三章「間口二間の米屋で独立」  第四章「右肩が上っている」

第三章 「間口二間の米屋で独立」

甲種合格、満州へ出征。一度目の兵役に ~20歳

昭和9年 満州出征
店を始めて3年3か月、私は20歳になり、兵隊検査を受けることになった。せっかく自分の力で店を軌道に乗せ、このままいけば親子2人水入らずで中流階級並みの生活ができるのだから、兵隊にとられたら大変だ。本気になって成田山へお参りし、願わくは甲種合格にならないようにとお祈りした。しかし、運の神は私を見放し、兵隊検査は甲種合格になってしまった。12月には赤紙が来て、召集を命ぜられた。
麻布3連隊なら日曜日ごとに家に帰って来られる。3人の店員に商売を任せて、日曜日ごとに帰って来て指示すればいいと思っていた。ところが、16師団の福知山連隊に編入を命ぜられ、満州に派遣されることが決まった。満州事変のほとぼりが冷めない、日支事変の前夜で、満州には戦雲が垂れ込めていた時代だ。いつ帰って来られるか、生きて帰れるかどうかも分からない。母1人では店を続けて行くのは不可能だ。私は店をたたむ決心をした。
18歳のときから、自分の力で築き上げた店だ。未練はあったが仕方がなかった。とにかく、満州に派遣される1か月の間に買手を見つけなければならない。その頃、浅草・竜泉町に金子屋という羽振りのいい米屋があって、支店を出したいという話を人から聞いた。さっそく金子屋の主人に会って話したところ先方も乗気で、正直に帳簿を見せて、得意先や売掛金を細かに説明して、800円でどうですかと持ちかけた。1銭もかけ値なし、取引先への支払いや借金は全部済ませてある。
先方は私の言い分を聞くと、私の言い値よりも200円高い、「千円で買いましょう」と言ってくれた。私が店を売りに出すことを聞いて、知恵をつけに来た人に、 「根本さん、売りに出すんだったら、その前に勘定を取っておいて、残った分を払いに回しなさいよ」 と言われたが、私は貸しを思いきりよく諦め、借金を全部払った。払いを先にして、取るものは後にするのが私の主義だ。 店を売った金が1,000円、3年間働いて貯めた金が800円。諸々の払いを済ませて手元に1,800円残った。店を始めたときの資金450円が3年の間に4倍になったわけである。この1,800円を母に渡して、私は福知山連隊に入った。昭和9年12月のことである。

第四章 「右肩が上っている」

右肩が上がっている

漸く軌道に乗った根本精米店も満州派遣によりもろくも崩れてしまった 漸く軌道に乗った根本精米店も満州派遣によりもろくも崩れてしまった
根本精米店を売って1,800円残した私は、内心得意になっていた。不景気時代で老舗がバタバタとつぶれるような時代に、若僧が自分の力一つで店を切り盛りして繁盛させ、今の金にすれば200万円くらいの金を残したのだから、俺ほど商売が上手い者はいないだろうと天狗になっていたのである。
軍隊へ入り、その鼻はへし折られてしまった。上官に叱られても、「威張っていても親のスネかじりだろう。1,800円も貯金を持っているのか。俺はおまえらとは訳が違うんだ」などと思い、表面では素直に返事をしても言うことを聞かなかった。 「おい、根本。軍人勅諭を暗誦してみい」 「一つ、軍人は忠節をつくすを本分とすべし。一つ軍人は...」 「後はどうした」 「忘れました」 そこでビンタが2、3発飛んでくる。難しい漢字を読んだり、覚えたりすることは小学校 しか出ていない私は大の苦手だ。軍人勅諭だけではない。教練や演習でも引けを取る。中学校や高等学校を出た連中は、38式歩兵銃の操作や、分列行進くらい知っているが、こっちは何も知らない。できるのは、米の配達で覚えた自転車の運転くらいだが、軍隊では使わないから何の役にも立たない。
「気を付け!」で不動の姿勢をとらされても、体が真っ直ぐにならない。「おい根本、右肩が上がっているぞ」下げろと言われても下がらない。米俵を担いでばかりいたから、右肩が上がりっぱなしになってしまったのである。

スタートのつまずきで下積み生活

入隊して一週間後、満洲に出発した。着いてから10日目のこと、私はアメーバ赤痢にかかってしまった。生水は絶対に飲むなと言われていたのに、「俺は腹が良いから大丈夫だ」と飲んだところ、たちまち猛烈な下痢、発熱を起こして野戦病院に送られた。飲まず食わずで、わずかの間に15貫あった体重が10貫まで落ち、文字通り骨と皮になってしまったが、下痢、発熱が収まると野戦病院を追い出され、20日間で現隊復帰を命ぜられた。
現隊に帰って来たときもまだ、骨と皮ばかりの幽霊のような状態だったが、休むことは許されない。フラフラの体で駆け足や銃剣術などをやらされる。立っているのがやっとだから、何をやってもビリ。 「根本二等兵! それでも男か」と、ビンタの連続だ。 同輩の初年兵までがばかにし始め、一番割りの悪い役は全部私にまわってきた。 半年ほどで体力はすっかり回復し、駈け足も銃剣術の試合でも負けないようになった。しかし、軍隊というところは、出発点で遅れをとると、絶対に下積みの地位から這い上がることはできない。除隊になるまで、私は同年兵の中でも一番下っ端の地位に甘んじなければならなかった。丸2年で除隊になったが、その間、毎日悔しさと屈辱感に明け暮れた軍隊生活だった。
もし、私が軍隊生活を経験しないまま米屋をしていたら、世間のことを何も知らず天狗になっていたかも知れない。調子づいて、失敗する破目になっていたかもしれない。たかが米屋の商売ができたからといって、立派な人間だとは言えないのだ。 人間は、一つのことしかできないのは駄目だということ。出発時点での失敗がいかに重大かということ。兵役で下積み生活を余儀なくされ、天狗の鼻をへし折られた体験によって、この貴重な2つの教訓を私は得た。