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根本忠雄「焼き鳥商法」> 日本独自の「居酒屋チェーン」の始まり

日本独自の「居酒屋チェーン」の始まり

元祖居酒屋チェーン『鮒忠』誕生から、養鶏業界の発展と共に拡大し、日本型フランチャイズの創始者となる。
そしてそれが「"焼き鳥"=日本の居酒屋の定番文化」として広まっていった。

昭和21年に浅草千束でうなぎ、どじょうなど川魚を主体とした惣菜店、鮒忠を開業。
翌22年からは営業の主体であった行商から店頭販売に切替え、鶏肉の取扱いを始めた。
25年、店舗を改装し1階を惣菜店、2階を料理店とし飛躍期に突入した鮒忠は「焼き鳥」「ひな鳥の丸蒸し焼き」の大ヒットと共に、26年からのれん分けを含めた支店拡張をスタートし、支店第一号馬道店(現在の浅草花川戸店)が誕生する。
…『※それは現在にいたる日本独自の「居酒屋チェーン」の始まりとなった。』
(※中村芳平著「居酒屋チェーン戦国史」イースト新書より)
15周年記念グランドショウ 15周年記念グランドショウ
昭和32年には支店は25店となり、そのうちのれん分けによる独立したオーナー店主は8人だった。
その後も毎年5店ペースで新店をオープン。
昭和43年には店舗50店を越え、日本初めてのフランチャイズ計画(食鳥新聞調べ)を発表する。

昭和46年 鮒忠フランチャイズマニュアル 昭和47年 社長の「江戸っ子商法」 同時に発売された本橋専務(当時)の「これが日本のフランチャイズだ」 昭和46年 鮒忠フランチャイズマニュアル
昭和47年 社長の「江戸っ子商法」
同時に発売された本橋専務(当時)の「これが日本のフランチャイズだ」

昭和49年 日経流通新聞「第1回日本の飲食業調査ランキング」 昭和49年 日経流通新聞
「第1回日本の飲食業調査ランキング」
昭和46年2月からはフランチャイズ本部を本格運用し、昭和53年9月にフランチャイズ100店舗、その後は直営店フランチャイズ店合計約200店に拡大した。
その急成長に合わせて「食用鶏」の調達のための生産から卸売の一次〜二次産業を運営。直営店舗の拡大のほか、日本初のFC飲食展開、そして日本の外食文化黎明期において鮒忠以外にも200店以上の焼き鳥店主の修行に寄与、協力し、独立店を輩出しました。
このような時代背景から「日本の居酒屋スタイル=焼き鳥」という日本の食文化が定着し、その始祖となった創業者・根本忠雄は「焼き鳥の父」と呼ばれるようになりました。
昭和55年4月根本忠雄は67歳で代表取締役会長に、根本修司が代表取締役社長に就任。
昭和62年忠雄は74歳で名誉会長就任、翌63年75歳で永眠。
平成2年度売上高は169億円となった。
平成16年代表取締役社長根本修司が「株式会社鮒忠の経営を通じて国民食生活の向上発展に貢献した功績」として、黄綬褒章を賜りました。
(1)一般大衆への鶏料理の廉価での提供(2)養鶏農業の振興への寄与(3)他業態の展開による消費者ニーズへの適応(4)社団法人日本フードサービス協会の発展に貢献した功績、などが主な事績です。
創業より七〇余年、焼き鳥を通じてこれからも『幸せな食と笑顔』を広めていきます。
=完=