第六章 「再びゼロからの出発」
露天のうなぎ屋から行商専門に
※写真はイメージです (画像素材:PIXTA)
15年前、鈴木精米店を飛び出して、わずかの資金を元手に米屋を開いたときのことを思い出した。まだ20歳にもならない若僧だったが、夜もろくに眠らないほど頑張って、一人前の米屋に仕上げた。あの頃の闘志は、今でもある。戦争ですべてを失ったが、私には商売で生きるしか道がない。
「もう30歳を越えたが、これからが新しい人生の出発だ。体一つあれば、石にかじりついてでも、また商売をやって成功してみせるぞ」私は、自分の胸に誓った。
「もう30歳を越えたが、これからが新しい人生の出発だ。体一つあれば、石にかじりついてでも、また商売をやって成功してみせるぞ」私は、自分の胸に誓った。
有り金をはたいて権利を借り、北千住の駅前にうなぎの露天を出した。開店したのは5月1日。うなぎ屋といっても蒲焼きではなく、細くて小さい「メゾッコうなぎ」を頭ごと丸めて、串ざしにして焼いて売る「くりから焼き」だ。
1本100円のくりから焼きが、開店から飛ぶように売れて、1日に約200円儲かった。この分なら資金ができるだろうと思っていたが、メゾッコうなぎは漁にムラがあって、1匹も仕入れられないこともある。その上、露店商売は雨が降るとお手上げだ。6月に入ると梅雨で雨の日ばかり続き、仕入れてもお客が来ない。
1本100円のくりから焼きが、開店から飛ぶように売れて、1日に約200円儲かった。この分なら資金ができるだろうと思っていたが、メゾッコうなぎは漁にムラがあって、1匹も仕入れられないこともある。その上、露店商売は雨が降るとお手上げだ。6月に入ると梅雨で雨の日ばかり続き、仕入れてもお客が来ない。
ある日、今日の天気は大丈夫と見込みをつけて、全財産をはたいて大量に仕入れ、大儲けしようと虫のいいことを考えたのである。ところが、昼近く急に雲行きがあやしくなり、大粒の雨が降って来た。「そのうち止むだろう」と高をくくっていたのだが、1時間経っても2時間経っても止みそうもない。むろん客は一人も来ない。さすがの私も、店じまいしてトボトボと家に帰った。
このまま明日も雨が降り続けば、うなぎはおそらく死んで腐ってしまうだろう。家に帰って飯も食わずに、寝そべって考えた。夜中の1時、2時になっても眠れず、天井の節穴を睨みながら思案にふけった。そのうちに、ある考えが頭の中をかすめた。
雨が降ると、出かけるのが面倒くさいからお客は来ないので、買いたいお客がいなくなったわけではない。こちらがお客の来るのを待っているから悪いので、雨が降っているときは、お客の住んでいる所を回って歩けば必ず売れるはずだ。「雨のときは行商でいこう」と考えついた私は、夜が明けるのも待ち遠しく支度をして、露店を出している場所に駆けつけた。
雨が降ると、出かけるのが面倒くさいからお客は来ないので、買いたいお客がいなくなったわけではない。こちらがお客の来るのを待っているから悪いので、雨が降っているときは、お客の住んでいる所を回って歩けば必ず売れるはずだ。「雨のときは行商でいこう」と考えついた私は、夜が明けるのも待ち遠しく支度をして、露店を出している場所に駆けつけた。
その日もまだ雨は降り続いていて、昨日のうなぎはほとんど腹をひっくり返して死んでいたが、幸いまだ腐っていなかったからくりから焼きを作り、全部担いで売りに出た。
「うなぎー。かばやきー」
恥ずかしいなどと言ってはいられない。これが売れなければ食えないのだ! 声を張り上げて売り歩き始めると、すぐに注文の声がかかった。
「うなぎー。かばやきー」
恥ずかしいなどと言ってはいられない。これが売れなければ食えないのだ! 声を張り上げて売り歩き始めると、すぐに注文の声がかかった。
行商は期待以上に成功し、半日ほどの間に全部売り切れてしまった。露店なら1日かかる分が、行商では2、3時間で売りさばける。何も露天などやることはないと、次の日露店を畳み、毎日行商に歩いた。うなぎだけでなく、どじょうも始めた。仕入れにムラがあるメゾッコうなぎよりも、どじょうは仕入れも楽だし良く売れる。
暑い盛りに重い荷を担いで歩くのだから、激しい仕事だ。今になってみると、ずいぶん無理なことをしたと思うが、そのときは辛いなど考えてもみなかった。売れ残って腐ったどじょうを、弁当のおかずにして食ったのはその頃のことだ。
暑い盛りに重い荷を担いで歩くのだから、激しい仕事だ。今になってみると、ずいぶん無理なことをしたと思うが、そのときは辛いなど考えてもみなかった。売れ残って腐ったどじょうを、弁当のおかずにして食ったのはその頃のことだ。
自転車どろぼうと新円
※写真はイメージです (画像素材:PIXTA)
ある日、御徒町辺りを自転車で売り歩いていると、岡本という自転車屋から声がかかって、
「どじょう屋さん、100円ばかり裂いてくださいよ」
「へい、お待ちどうさま」と持って行ったところ、
今度は自転車屋の2階に住んでいるおかみさんが降りて来て、
「美味しそうなどじょうね。あたしも裂いてもらうわ」と注文をもらって、どじょうを裂くため、店先に置いた自転車のところへ戻るとあいにくの雨。
「雨だわね。濡れるから中で裂きなさいよ」と、どじょうだけを持って家の中で裂いた。
勘定をもらい外へ出ると、さっきまで置いてあった自転車がもうそこにないのだ。
「どじょう屋さん、100円ばかり裂いてくださいよ」
「へい、お待ちどうさま」と持って行ったところ、
今度は自転車屋の2階に住んでいるおかみさんが降りて来て、
「美味しそうなどじょうね。あたしも裂いてもらうわ」と注文をもらって、どじょうを裂くため、店先に置いた自転車のところへ戻るとあいにくの雨。
「雨だわね。濡れるから中で裂きなさいよ」と、どじょうだけを持って家の中で裂いた。
勘定をもらい外へ出ると、さっきまで置いてあった自転車がもうそこにないのだ。
なけなしの金をはたいて買った商売道具だ。泣きっ面にハチとはこのことだが、騒いでも 始まらない。あきらめて、まだ残っているどじょうを担いで売り歩いた。当時は戦後の混乱期で、盗まれる方が悪いのだくらいの頃だった。
自転車泥棒があれば泥棒自転車もありで、それから4、5日して、泥棒自転車を安く売っているのを見つけて手に入れた。
自転車泥棒があれば泥棒自転車もありで、それから4、5日して、泥棒自転車を安く売っているのを見つけて手に入れた。
新円に切り替わって間もないその頃、新しい札が出回るまで旧札に切手のような証紙を貼ったものが通用していたのだが、これにもずいぶん騙された。
下谷の竹町や稲荷町辺りの景気のいいところへ行くと、「どじょう100円裂いてくれ」「150円裂いてくれ」と声がかかるが、たちの悪い客は証紙の貼っていない札を知らん顔して出すのだ。こっちが言っても、
「おやおや、はがれちまったらしいな」と、とぼけるだけだ。
気がつかずに、通用しない金をつかまされることも多い。その度に、「踏みつぶすなら踏みつぶしてみろ。負けるもんか」と、燃えるような闘志がわいたものだ。
下谷の竹町や稲荷町辺りの景気のいいところへ行くと、「どじょう100円裂いてくれ」「150円裂いてくれ」と声がかかるが、たちの悪い客は証紙の貼っていない札を知らん顔して出すのだ。こっちが言っても、
「おやおや、はがれちまったらしいな」と、とぼけるだけだ。
気がつかずに、通用しない金をつかまされることも多い。その度に、「踏みつぶすなら踏みつぶしてみろ。負けるもんか」と、燃えるような闘志がわいたものだ。
その頃の私は、他の連中とまるきり意気込みが違っていた。半分は何とかこれで食っていかなければならないということもあったが、それ以上に、この商売を足場に資金を作って、次の飛躍を試みようという、鬱勃たる夢があったのだ。他の連中は適当なだけ売れれば満足して、後は休むといった調子だったが、私はあるだけ仕入れて、あるだけ売るという意気込みで、売れそうな場所を血まなこで探し、その日仕入れた分がなくなるまで売り歩いた。
6月から8月の暑い盛り、尻に大きなできものができて歩けないときでも、這うようにして自転車に乗って回った。どじょうも、うなぎも仕入れができないときは、きゅうりや茄子を仕入れて売り歩き、行商は1日も休まずに稼いで回った。
6月から8月の暑い盛り、尻に大きなできものができて歩けないときでも、這うようにして自転車に乗って回った。どじょうも、うなぎも仕入れができないときは、きゅうりや茄子を仕入れて売り歩き、行商は1日も休まずに稼いで回った。